藤村靖之氏の文章を受けて・・・。
生きる力 |
3.11を経て、やっと人々は自らの生きる力の乏しさに気付きはじめた。 |
これを機に価値観の変容が起きはじめた。 |
しかし、高度経済成長期を経験し消費依存型社会に浸りきった人々は |
では、どうすれば、自らの生きる力を高めることが出来るのか・・・。 それがわからないでいる。 |
多くの人々は、企業に身を置き、貴重な時間と肉体を駆使し、その対価を得てきた。 |
そうやって得た対価を消費に回し、 その消費をまた別の誰かが奪い合い、そしてまた対価を得てきた。 |
経済というものはそうやって廻っていて、そこになんら疑いの目を向ける人はいない。 |
しかし、だ。 |
生きることは消費することではない。 |
生きることは金銭を得ることではない。 |
ましてや、争い、奪い合うことではない。 |
そのために、奔走し、消耗し、嘆き、哀しみ、苦しむ。 |
肉体を追い込み、消耗し、壊れていく。 |
もし、それが生きることだとしたら、もはや人類に未来はないだろう。 |
金さえあれば何でもできる・・・。一日も早くその幻想から抜け出さなければならないの ではないだろうか。 |
そういうことに、これを読んでいるあなたも気付き始めているのではないだろうか。 |
生きるということは、もっとシンプルだと思う。 |
人間の根源的欲求や活動に対して、どれだけの知識とスキルを持っているか。 |
わかりやすく言えば、 |
もし、食糧難や飢饉に陥ったとき、はたして食料を自己調達できるのか。 |
もし、災害に見舞われたときに、風雨をしのぐ小屋を建てられるのか。 |
かつては、これをサバイバルと位置付けていた。どこか非現実的で自分には起こり得ない ことだと思っていた。 |
しかし、そのようなことが実は生きるために必要なことであり、大抵の人はそのスキルが 自分にはないことに気がついた。 |
どれだけ金を持っていても、どれだけ社会的地位が高くても、有事の際にはなんの役にも 立たないことに気がついた。 |
国が、社会が、そのシステムが崩壊したとき。今の君にはいったい生きていく力がある のか?家族を守れる力があるのか? |
|
コメントをお書きください
seks telefon (火曜日, 31 10月 2017 20:19)
szczelina
sekstelefon (水曜日, 01 11月 2017 03:40)
kapkan