備忘録②

 

藤村靖之氏の文章を受けて・・・。

 

 

生きる力
 
3.11を経て、やっと人々は自らの生きる力の乏しさに気付きはじめた。
これを機に価値観の変容が起きはじめた。
 
しかし、高度経済成長期を経験し消費依存型社会に浸りきった人々は

では、どうすれば、自らの生きる力を高めることが出来るのか・・・。

それがわからないでいる。

 
多くの人々は、企業に身を置き、貴重な時間と肉体を駆使し、その対価を得てきた。

そうやって得た対価を消費に回し、

その消費をまた別の誰かが奪い合い、そしてまた対価を得てきた。

経済というものはそうやって廻っていて、そこになんら疑いの目を向ける人はいない。
 
しかし、だ。
生きることは消費することではない。
生きることは金銭を得ることではない。
 
ましてや、争い、奪い合うことではない。
そのために、奔走し、消耗し、嘆き、哀しみ、苦しむ。
肉体を追い込み、消耗し、壊れていく。
もし、それが生きることだとしたら、もはや人類に未来はないだろう。
 

金さえあれば何でもできる・・・。一日も早くその幻想から抜け出さなければならないの

ではないだろうか。

そういうことに、これを読んでいるあなたも気付き始めているのではないだろうか。
 
生きるということは、もっとシンプルだと思う。
人間の根源的欲求や活動に対して、どれだけの知識とスキルを持っているか。
 
わかりやすく言えば、
もし、食糧難や飢饉に陥ったとき、はたして食料を自己調達できるのか。
もし、災害に見舞われたときに、風雨をしのぐ小屋を建てられるのか。

かつては、これをサバイバルと位置付けていた。どこか非現実的で自分には起こり得ない

ことだと思っていた。

しかし、そのようなことが実は生きるために必要なことであり、大抵の人はそのスキルが

自分にはないことに気がついた。

 

どれだけ金を持っていても、どれだけ社会的地位が高くても、有事の際にはなんの役にも

立たないことに気がついた。

 

国が、社会が、そのシステムが崩壊したとき。今の君にはいったい生きていく力がある

のか?家族を守れる力があるのか?

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    seks telefon (火曜日, 31 10月 2017 20:19)

    szczelina

  • #2

    sekstelefon (水曜日, 01 11月 2017 03:40)

    kapkan

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