DIYとはなにか。

 

DIY...なんだか最近盛り上がってきています。とてもうれしく思います。

 

僕がこのサイトを立ち上げたのが今から4年半前の2013年のお正月。

一戸建てを、ほぼ一人でセルフリノベーションしたのが2010年の4月なので既に7年も前のことです。そのころはDIYが何の略であるかすら、多くの人が認知していなかった気がします。

だからこそ当時、僕はこのサイトを立ち上げました。

 

これが、昨年あたりでしょうか?バラエティ番組で芸能人が自身のDIYを披露し始めたところから、一気に市民権を得始め、毎週のようにどこかでDIYの話題が聞かれるようになってきました。

 

でも、そうやってメディアが一斉に取り上げ始めると、本来の意義が失われ、あらぬ方向や予期せぬ方向へ物事が進んで行ってしまうこともあります。そんなことを今まで何度も見てきた気がします。

 

なので、そんな今だから、もう一度僕なりのDIYを纏めたいと思いました。

 

 

DIY=暮らし。

 

DIYは特別なことではありません。暮らしていくことそのものがある意味でDIYなのです。

ただ、この「暮らし」という概念が近代変わってきてしまっています。

どこか 消費=暮らし になってきている気がします。

 

例えば...。

 

庭に梅の木が植えられている。春を過ぎるとこの木に梅の実がたわわに実る。

この実を取り、下処理をして干す。そして梅干しが出来る。これは立派なDIYです。とても豊かな暮らしです。

 

一方、デパ地下で一粒数百円!なんて高級梅干しを買って、その味わい深さを堪能する。一見豊かですね。これ、もちろんDIYではないですが、僕はこれを豊かだとも思いません。単なる消費活動でしかないですから。

 

前者には、「梅干しを作る」という昔の日本人の暮らしそのものがあります。さらに、庭に梅の木を植える。さらには、梅の木に立派な実が実るように育てるというプロセスがあってこそ出来ることです。そのプロセスにはあらゆる課題が存在します。

梅の種類を知ること。庭に穴を掘ること。育成。剪定。添え木。摘果。などなど。一粒の梅干しの為にやらなきゃいけないことが山ほどです。

 

これを、メンドクサイと思うか、面白そう!と思うかです。

メンドクサイ。そう思う人は少なくともDIYには向かないです。

テレビでは簡単そうに見えても、ただ木を切るだけでも覚えなきゃならないことが、沢山あります。

 

 

全ては人が作ったもの。

 

自分の身の回りを眺めて見てください。

視界に入るほぼすべてが、人間の手によって作られたものです。神が創り給うたもの以外はすべてです。どんなものでも人の手を介し作られたものです。

その机も、着ている服も、今まさにあなたが覗き込んでいるモニターも。

 

故に、あなたにそれが作れないはずがありません。出来ないと思うのは、自らの可能性に蓋をしているだけです。難易度の問題はさておき。

 

突拍子もないことを吹いているだけに聞こえるかもしれませんが、これがDIYの精神だと僕は思っています。要はやろうと思うか、思わないかの違いだけなんです。あなたにもきっと作れるものがあるはずです。

 

 

いろいろと書きましたが、

つまり、部屋やインテリアの事だけにDIYという概念を適用するのは、とてももったいないことだと僕は思っています。自らの手から何かを生み出していくこと。さらには、先人たちの暮らしの中にあった知恵と技術と経験を受け継いでいくことがDIYだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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